夫が早期退職を決めたとき、正直に言えば、私は動揺しました。
「辞めていいよ」と言ったのは、私のほうだったのに。
今日は、あの日の本音と、数年経った今だから分かることを書いてみます。
もし今、ご家族の退職を前に気持ちが揺れている方がいたら、同じところを通ってきた者の記録として読んでいただけたら嬉しいです。
■「辞めていいよ」と言ったのは、私だった
いざ「辞めることにした」と告げられたとき、「ええっ、」と声が出ました。
私のせい?
本当に、これで良かったの?
自分で背中を押しておきながら、その時になって、私はたじろいでいたのです。
■あの動揺の正体
あの動揺の正体が何だったのか、長いこと分からないままでした。
今なら少し分かります。たぶん、残念だったのです。まだ働ける人なのに、予定していた区切りより、ずいぶん早かったから。
■退職がなければ、お金と向き合わなかった
ただ、あの退職がなければ、私はお金のことを真剣に考えないままだったと思います。
それまでの私は、維持費という言葉の意味も、家を持ち続けることの重さも、本当には分かっていませんでした。
夫の退職をきっかけに、初めて家計と向き合い、家のこれからを考え、ひとつずつ、自分たちの手で決めていくことになりました。
■その人が今、マレーシアにいる
そして今、振り返って思うことがあります。
あのままの働き方を、あと何年も続けていたら。そう想像すると、今でも少し怖くなります。当時の夫は、精神的に参っていても、止まり方を知らない人でした。動き回って、急いで、ご飯さえ、味わう前に終わっていました。
夫はその後、周りの方々からご縁をもらって再び働くことになりました。そしてその仕事が、私たちをマレーシアへ連れてきたのです。
こちらに来てから、夫はゆっくりご飯を食べるようになりました。箸を置いて、話をするようになりました。いまも平日は仕事に出かけていきますし、せっかちも相変わらずです。それでも、急がなくていい時間があることを、体が思い出したように見えます。
その姿を眺めながら、私はようやく認めました。あの退職は、残念な出来事ではなかった。私たちの人生の、分岐点だった。あそこで曲がったから、今ここにいるのだと。
■人生は綱渡りだと思う
人生は綱渡りだと思います。渡っている最中は、足元しか見えません。でも渡り終えて振り返ると、あの細い綱が、ちゃんと道だったと分かります。
この暮らしがいつまで続くのかは、まだ分かりません。分からないまま、いま行ける場所へ、ふたりで出かけています。それもまた、渡っている最中の綱なのだと思います。
「辞めていいよ」と言ったくせに、たじろいでいたあの日の私に代わって、面と向かっては照れくさくて言えないから、ここに書いておきます。
あのとき、決めてくれてありがとう。
曲がった先で見えてきた景色のことは、この記事に書いています。
👇「年を重ねてから、世界はまだ広がる」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🌿
🟡この記事を書いた人:タマキ
日光アレルギー歴17年。日差しが苦手なのに、縁あってマレーシアへ移住してしまいました。 動き回るせっかちな夫と、のんびり日陰を選ぶ私のシニア夫婦ふたり暮らし。
「快適にすごす工夫」を探しながら、日光アレルギーのこと、日々の暮らし、無理しない旅の記録を綴っています。
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