10年日記を開いて、去年の同じ日のページを読んだとき、ずいぶん昔のことのように感じて驚きました。たった1年前なのに、書いてある毎日が遠く見えます。
マレーシアに移住して半年。毎日がすんなりいかないぶん、1日1日が濃いのだと思います。
迷って、困って、助けてもらって。振り返ると、どれも小さな冒険でした。
市場に着いたはずが、駅前の広場だった|パサールタニ
市場「パサールタニ」へ、Grabで向かったときのことです。
降ろされた場所は市場ではなく、駅前の広場でした。着いたつもりでいたのに、お店も人だかりもなく、自分が今いる場所さえわかりません。本当に戸惑いました。
立ち尽くしていると、駅の前にいた人が手振りで「あっちだよ」と教えてくれました。ほとんど言葉を交わしていないのに、うれしくて、本当に心強かった。友人も迎えに来てくれて、心から助かりました。
今は新しくできたシャーアラム線に乗って、広場の前の駅で降り、市場まで自分の足で歩いていけるようになりました。
入口が4つもあった|スーパー帰りのGrab
移住してまだ間もない頃、スーパーで買い物をして、Grabで帰ろうとしたときのことです。
大荷物を抱えて待っていても、迎えの車が見つかりません。右往左往しているうちに、Grabのドライバーから電話がかかってきました。入口にいたガードマンさんにお願いして、代わりに話してもらうことに。
ガードマンさんは「入口が違うよ、あっちだよ」と手振りで教えてくれて、なんとか車に会えて帰ることができました。
あとでわかったのは、スーパーの入口が東西南北に4つもあったこと。
今はひとりでGrabを呼び、出入口もきちんと確かめてから帰れるようになりました。
英語の張り紙を見落とした日|帰ったら冷蔵庫も止まっていた
日本人の知り合いたちと近くのお店で歓迎会をして、楽しい気分で部屋に戻ったときのことです。
電気がつきません。クーラーも動きません。開けてみると、冷蔵庫まで止まっていました。
大慌てで1階のガードマンさんのところへ聞きに行き、話していると、ちょうど友人が通りかかりました。友人が教えてくれたのは、エレベーターの中に「10時から2時まで停電」という張り紙が出ていたこと。私はまったく見ていませんでした。
以来、エレベーターの中に張り紙があれば、写真を撮ってAIに訳してもらうようにしています。次の停電のお知らせは、見逃しませんでした。
ワンウタマで二度迷った|オールドウィングとニューウィング、そして反対行き
最初に迷ったのは、ワンウタマから電車で帰ろうとした日でした。
いつもはGrabで行き来していて、着くのはニューウィングの出入口。ところが電車の駅はオールドウィング側から出ていて、知らなかった私は帰り道がわからず、モールの中を歩き回りました。
Grabはニューウィング、電車はオールドウィング。同じモールでも、来かたによって入口が違います。
先日は、ひとりでワンウタマの無印良品へ行きました。メイク道具が新しく入ったので、見てみたかったからです。
2026年の夏にオープンしたばかりのシャーアラム線を一人で使うのは初めて。ケラナジャヤ線のグレンマリー駅で降り、連絡橋を6〜7分歩いて、シャーアラム線のグレンマリー2駅へ向かいます。連絡橋には屋根がついていて、日差しを気にせずに歩けました。左右は開いているのでエアコンはありませんが、わりあい快適です。
ホームに着くと、ちょうど列車が来ていました。
反対方向かもしれない。でも、違ったらひと駅戻ればいい。
迷いながらも乗ってみたら、本当に反対行きでした。ひと駅で降りて折り返し、無事にワンウタマへ。ひと駅ぶんの遠回りでしたが、不思議と慌てませんでした。

パサールタニの広場の前の駅にも、今は同じシャーアラム線で行っています。
言葉より先に、手振りで助けてもらった
振り返ると、助けてもらった場面にはいつも手振りがありました。
駅前で「あっちだよ」と指さしてくれた人。スーパーで正しい入口を手で示してくれたガードマンさん。言葉がうまく通じなくても、手振りひとつで人はちゃんと助けてくれます。
そして、何度も駆けつけてくれた友人。パサールタニの日も、停電の日も、助けてくれたのは同じ友人でした。書きながら気がつきました。
シニアの友人とは「冒険だね」と言い合ったことがあります。すんなりいかない毎日を一緒に面白がってくれる人がいるのは、ありがたいことです。
自分から動かないと、わからないままの国
日本にいた頃は、なんとなくわかっていたことがたくさんありました。駅の出口も、張り紙の意味も、買い物帰りの段取りも。
マレーシアでは、自分から動いて確かめないと、わからないまま過ぎていきます。聞く、歩く、間違える、折り返す。少しずつしか覚えられませんが、覚えたことは確かに自分のものになっていきます。
おわりに|見た目は年相応でも、好奇心は若返っているのかも
最初の頃は、助けてもらってばかりでした。今はひとりでGrabを呼び、張り紙は写真を撮ってAIに訳してもらい、電車を乗り継いでワンウタマへ行けます。反対行きに乗っても「戻ればいい」と思える自分がいます。
見た目は年相応でも、好奇心は少しずつ若返っているのかもしれません。去年の10年日記がずいぶん昔に感じるのは、毎日が冒険だからだと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🌿
🟡この記事を書いた人:タマキ
2008年、39歳のときに日光アレルギーを発症しました。日差しが苦手なのに、縁あってマレーシアへ移住してしまいました。 動き回るせっかちな夫と、のんびり日陰を選ぶ私のシニア夫婦ふたり暮らし。
「快適にすごす工夫」を探しながら、日光アレルギーのこと、日々の暮らし、無理しない旅の記録を綴っています。
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