🌞50代の体の変化と日光アレルギー|祖母との共通点から気づいたこと 

日差しを気にせず過ごしていた頃

私は日光アレルギーになる前、特に日差しを避けることなく過ごしていました。
すぐに焼けてしまうのは、それなりに嫌でしたが、「仕方ないよな」と思って受け入れていたように思います。

赤くなる間もなく黒くなる肌で、当時は特に体への負担も感じていませんでした。
「色黒でもべつにいいわ」と思っていたのです。


思い出した祖母の言葉

最近ふと、祖母のことを思い出しました。
「顔だけが黒くなって、体は白いのよ」と、よく言っていたのを覚えています。

確かに私も、生まれつき肌が黒いというわけではなく、足の甲など日光にさらされない部分は白いまま。
サンダルを履いたとき、出ていた部分だけがくっきり焼けて、跡がそのまま残ることがよくありました。

太陽の光からの影響を受けやすい体質、それが祖母と私には共通していたのかもしれません。


祖母の時代には「日光アレルギー」がなかった

祖母は農家だった家の野良仕事(畑仕事)を手伝うのが当たり前の時代に育ちました。
でも「それができなかった」と話していたのを思い出します。

今なら「日光アレルギーかも」と思える症状も、当時は言葉にできなかったのでしょう。
「ああ、おばあちゃんも、あのときしんどかったのかな」と思うと、胸にじんわりくるものがあります。


シニア世代に入ってからの変化

私は今、シニア世代として暮らす中で、日差しによる影響が変わってきたのを感じています。
以前はただ黒くなるだけだった肌が、今ではシミとして残ることも増えてきました。

日光の影響を受けやすい体質に加えて、年齢を重ねることで体の反応も変化しているのだと実感しています。


体質とともに生きていく

今は、昔とは違って情報も選択肢もあります。
日光アレルギーのこと、体とのつきあい方、工夫しながら過ごす毎日は、決して「我慢」ばかりではありません。

祖母の記憶をたどりながら、私はこれからも、自分の体と丁寧に付き合っていこうと思います。
無理せず、でも前向きに。


この記事を書いた人:タマキ
日光アレルギーとともに暮らし、旅を楽しむシニアライフを発信中。
「快適に、自分らしく」を大切に、日々の暮らしを記録しています。
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