【日光アレルギー・私の場合(後編)】模索と受け入れの15年、そして今

【仕事の場面で感じたつらさ】

日中に外で活動する仕事もありました。でも私は日光アレルギーがあるので、どうしても無理なときは人に代わってもらったり、「自分は参加できません」と伝えなければならないことがありました。そのたびに、申し訳なさと心苦しさで胸がしめつけられるような気持ちになります。

一度、無理をして全身を布で覆い、どうにか外に出続けたこともありました。けれど、体に熱がこもってしまい、熱中症のようになってフラフラに。そのときのボスに「無理しないでよかったのに」と声をかけられたことを、今でも覚えています。ずいぶん前のことなのに、その言葉と自分の状態が心に焼きついているんです。

「役に立てなくて申し訳ない」「恥ずかしい」――そんな思いでいっぱいになって、ほんとうにきつかった。
「みなさんごめんなさい」の気持ちと、「自分ってダメだな」と思ってしまう気持ちが交錯して、自分でもどうしていいか分からなくなっていました。本当に、複雑でした。

【今の私が思うこと】

「できなくてごめんなさい」という気持ちをずっと抱えてきました。でも、50代になった今、その気持ちをただの自己否定で終わらせずに、「じゃあ自分にできることで、誰かの役に立てることは何だろう?」と考えて行動できるようになってきたように思います。

自分にできることを丁寧にやっていくことで、少しずつでも信頼を積み重ねていく。そうやって周りといい関係を築くことが、大切なんだと感じるようになりました。

同時に、「できないことはできない」と正直に伝えること、それを自分で受け入れて「やらない」という選択肢を持てるようにもなりました。これは、昔の私にはなかなかできなかったことです。

今の職場では、一緒に働く近しい人たちが「事前に聞いていたから大丈夫ですよ」と言ってくれたり、「〇〇をやってもらって助かってるよ」と声をかけてくれたりします。そんなふうに理解してもらえる環境があるからこそ、自分の身体に無理のない範囲で働けているのだと思います。

【これからも、自分にできることを】

日光アレルギーの症状が出るようになって、もう15年以上が過ぎようとしています。
この症状と向き合い続けるなかで、「これは私の弱点なんだ」と受けとめられるようになりました。

そしてようやく、「無理をしないこと」や「自分の弱さを認めること」が、少しずつできるようになってきたと感じています。

もし、同じように外からは見えにくい不調や症状に悩んでいる方がいたら――
どうか、自分を責めることなく、できる範囲で、やさしく過ごしてほしいと心から願っています。


日光アレルギーは、きっとこれからも一生つきあっていくものかもしれません。
でも、無理をしないこと、そして自分の弱さを知って生きていくことは、きっと誰にとっても大切なことだと思うのです。

読んでくださってありがとうございました。
ここまで読んでくださったあなたの毎日が、少しでも健やかでありますように。


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